今日は、母の面会に行かない日。

そんなときは、朝に入れる緑茶の茶葉を少し
多めに入れています。


母が認知症を発症する前は、毎朝、水と緑茶を
お仏壇に供えていました。

今は、お仏壇は兄のところで、入れる必要は
ないのですが、朝、緑茶を飲むのが習慣になり
ました。

母と緑茶。

入れる度に、思い出すことが二つ。

一つは、亡き兄嫁さん達が、盆暮れに母の日と
色々、贈ってくれたとき、文句を言っており
ました。

そのとき、よく母は言っていました。
趣味の物を貰うよりも、お茶を貰ったほうが
いいと。

でもねえ、おっかさん、その通りに送れば、
アータは言ったでしょうね。

お茶を贈るなんて、とんでもないわよ。

弔事に使われることが多い日本茶は、お祝いの
贈り物には不適切であることを盾にして。

姑根性というもので、たぶん、何を貰っても
文句をつけたことでしょう。


もう一つは、お茶を急須で入れると、必ず、
出てくる茶葉の滓。

それがお湯呑の底に溜まると、母は首をあげて
飲み干そうとしました。

誤嚥性肺炎を患ってからは、それをすると、
むせる原因になるので、注意をしていました。

022

緑茶にまつわることを思い出したのは、一保堂
からの母宛の「冬の贈りものリーフレットと
商品カタログ」

東京の住所から転送されてきたので、これは
このままにしておいても、宛名不明でリスト
から外れるかも。

ま、そのまま、放置かな。