偽痛風で、1ヶ月近くベットに寝たきりだった
母でした。
その間、認知症が進むのではないかと危惧して
おりました。
以前の大腿骨骨折の際の入院時のような被害
妄想の症状は出ましたが、だんだんと痛みが
収まってくると、それがなくなりました。
なくなったと思うと、今度は自虐的なことを
言い出しました。
アタシ、養老院へ行こうか?
大正生まれの母には、老人ホームというより、
養老院なんでしょう。
しかし、母の言葉尻からの養老院には明るい
イメージがありません。
老人を収容,救護する施設。
民間施設としては日清戦争後から始められ、
公的機関としては1932年施行の救護法に基づき、
設置され、65歳以上の生活困窮者を収容、救護
した。
現在は老人ホームの名で制度化。
(コトバンクより)
行き場のない貧窮している老衰者が最終的に
収容される施設であること。
「養老院へ行く」ことを、身内や知人に知らせ
たくないのが、当時の人達。
そのとき、鬼娘のアタクシは言っちゃいました。
あー、現在では、養老院とは違うけれど。
ここはその養老院なんよ。
母の目が、一瞬、まん丸くなりました。
母とアタクシの間に、沈黙が流れましたが、
テレビの内容に話題を変えると、なんでもない
ような雰囲気になりました。
たぶん、すぐに忘れてしまっていると思った
のは、アタクシの思い過ごしでしょうか。
母に老人ホームの説明をしても、やぶへびに
なりそうなので、やめました。
コメント
コメント一覧 (2)
毎日、すみません。
そして、ありがとうございます。
私は、鬼娘です
昨日は、帰り、チャリで、少し涙が……。
が、帰ってから、少し、片付けながら、あ、衣替えの服、下着、靴、買わなくて良かった…(笑)
父は、長生きすると思ってましたが……。特養に入所の時、役所は、住所をうつせと、、、特養は、どちらでも……と。悩みましたが、亡くなった時、住所が、特養では、可哀想かな……と、うつしませんでした。
悲しいんですが、介護が終わるのか……
在宅の地獄の日々は、なんだったのかな……親を殺したい、なんて、考えてしまう認知症介護
今に、なって、先生をかえてれば、薬の副作用の事、調べてたら、、
ホームに無理しても、居させてあげれば良かった……
後悔ばかりですが、介護に正解は、ないのでしょう……。
ありがとうございます。
今のお気持ち、私にもよーくわかります。
衣替えになると、来年はどうなるかわからないと
思いながらやっています。
「亡くなった時、住所が、特養では、可哀想かな……と」
ほんまに、そうなんです。
施設でも、住所をここに移してもいいと言われたのですが、
同じ理由で、今の横須賀の住所に一緒に移しました。
母の認知症の進行度は、カメの速度で、コメントを
下さる方々が、早く介護を終了してしまわれます。
そして、私にもやってくるだろう、母の終末期を
疑似体験させて貰っています。
おっしゃる通りに、介護には正解はなく、
また、亡くなったあとでも、後悔はあると聞きます。
私も、いまだに、在宅介護を続けているべきだったのかも
と思う反面、二度と嫌だとも思っています。
それもまた、後悔というか、心の闇のような感じです。