先日、ホームで父が亡くなりました。
クラスメイトからラインで連絡がありました。
前立腺がんの末期で、もう、長くはないのよ、
と彼女から話には聞いていました。
お父様は末期ガンでもクリアな方。
しかし、お母様の認知症が急激に進行して、
徘徊が始まった上に、お住まいのマンションは、
ゴミ屋敷化。
そこで、お父様は、妻の行く末を心配し、共に、
老人ホームへ急遽、入所。
その費用は、住んでいたマンションを即刻、
売却し、代金で充当したのだそう。
寝たきりになって2週間。
夜中の職員の巡回の間に、お母様が寝入って
いる間に、息を引き取っていたとのこと。
また、ブログ介護友のうちわ様のお義母様も
夜中に息を引き取られ、駆け付けたときに、
頬に涙の痕があったそう。
母と同時期に骨折し、老健から特養にと同じ
ように経過した介護友のチョコ様のお義母様も
夜中という状況でした。
そう言えば、亡くなった義姉の母親も、伯母も
ともに施設で夜中に亡くなっています。
ドラマの如く、ベットの周りに皆が居て、よよと
泣き崩れる中、息を引き取るなんてラッキーと
言えるのかもしれません。
母は、元気いっぱいで、到底、突然死するとは
思えません。
しかし、母が今の施設(特別養護老人ホーム)に
入所し、リビングでお隣に座っていたKさんも、
夜中に突然、亡くなりました。
施設に入所するに際しては、夜中の孤独死には
了承のサインをしております。
施設では、最期の看取りの際、家族の泊りも
認められています。
しかし、クラスメイトのお母様ではないですが、
寝てる間に息を引き取られると、後のダメージ
がどうなるか・・・
母が夜中にベットから立ち上がり、骨折したとき、
アタクシは、そばで寝ていたにもかかわらず、
防ぐことが出来ませんでした。
それを考えると、鬼娘のアタクシ、やっぱり、
母の看取りは、犬の文福に任せるかなと思う
のです。
彼(文福)は、最期の最後のとき、ちゃんと
ベットの入所者に寄り添ってくれるのです。
おっかさん、大丈夫、彼がいるからね。
安心してあの世へ逝ってや。
世間様では、ゴールデンウィークとなり、やれ、
海外だの、高速道路の渋滞だのとニュースが
飛び込んで参ります。
しかし、在宅介護も、施設も連休とは無縁で
ございます。
そこで、アタクシはいつもの一日おきの習慣を
やめて、一日、休日とすることに致しました。
明日は、メイストームが吹き荒れるとか。
そこで、崖の上の部屋に閉じ籠ることに致し
ました。
コメント
コメント一覧 (11)
知人のお母様は自宅で亡くなったけど、家の人が気がついたときは、息をしてなかったそうです。厳しい状態なのは家族の人もわかってる状況で、しょっちゅう様子を見てたのだと思うのですが、車椅子のお父様がお母様が息をしてないことに気がついたとか。自宅で昼間でも、そんなこともあるんですから。
親たちがか付いたら、私も家族がいなくなるので、死ぬまで目が見えてるのなら、きれいな風景でも見ながらひとりで静かに死にたいです。お金のかかりそうな高望みの最後ですよね(笑)。
このところ、母のところか、東京かへ出かけていました。だから、今日(5月3日)は部屋に居て、コメント返しとかFacebookへの投稿とか、いいね!を付けるかとか、デスクワークでしょうか(笑。母の施設は最期のときは部屋に一緒に寝ることはいいのですが、寝ていても臨終に間に合わないとすれば、今のところでも、タクシーで10分ですから、無理することないと思うようになりました。ほんとは、泊るつもりもあったのですが。私も私なりの人生の締めくくりを考えてこの先を生きていこうと思っています。お互いに頑張りましょ~
40日間もご実家に帰られていたんですね。
横須賀へ引っ越してみて、私もいずれは東京へ戻ろうと思っています。
昼間でも臨終が間に合わない場合がある・・・。
結局、老衰状態になるといつ息をしなくなるか、わからないということですね。
施設へ入所させたという後ろめたさから、母の臨終のときは、母の部屋に泊まろうと思っていました。
が、それはやめておこうとこの頃思っています。
死に方も、死に場所も、わからない・・・。望んだとおりにはいかないし、いくかもしれない。
神のみぞ知る。
今は、自分のことより、母を見送ることに集中?!するのみ、です。
お父様もお母様も一進一退ですね。
お母様も食べられるものがあれば、それが、一口3,000円であろうと、
食べて貰いたいですね。
お忙しいとは存じあげていますが、ちょっぴり期待もしています!
食べることをほぼ拒否している母の夕食介助に、毎日病院に通っています。
食べないぞ!の母、何とかたべさせるぞ!私との戦いです。
自宅介護のべったりの関係から、特養入所でちょっと距離間が出て、少しは優しい気持ちになれたのは、ありがたいことです。
母も96才、ご友人のお父様の様に、何時別れがおとずれるか、覚悟をしていても、きっと
想像以上なのだろうと思います。
悔いが残らないよう、出来る事はしたいと今は思っています。
tomozou様へ横から失礼させてください。
私の母も、食事への拒否がでました。食事ばかりでなく、介護への拒否もありました。
一ヶ月ほど、精神科の病院から出たバレリンシロップ、という薬を服用してました。
本来は、テンカンの人向けの薬で、怒ったりする気分を和らげるものらしいです。
その薬の効果があったのかどうか、母は食事を少し取るようになりました。
母の場合、1ヶ月ほどでその薬の服用は止めました。
言葉が足りませんが、詳しく書きにくくてすみません。
初めまして!
わたしのコメントにアドバイスをありがとうございます。
施設入所までは食欲旺盛だったので、環境の変化だけでなく、私に対しての
怒り、反抗なのだとおもいます。
食事介助をすれば。夕食一食はゆっくりですが、文句言いながらも、
ほぼしっかり食べてくれます。
退院後、特養に戻った後、食事をどのように対応すれば良いのか、
施設のスタッフの方々と、紹介してくだっさったお薬の件も念頭に置いて、
相談したいとおもっています。
又、アドバイスをお願いします。ありがとうございました。
こちらこそ、コメ返が遅くてごめんなさい。
時が経ち過ぎて、ピントが狂うコメントをしてしまいます。
ご勘弁を・・・。
食べることを拒否、あるあるですよね。
そそ、食べさせるぞ!!と、どうしても力が入りますよね。
一つ下の同窓生が、食べないお父様に対して、むりくり食べさせ、
お父様が泣いて抗議したと言ってました。
なんとか食べて欲しいと思うのは当たり前ですね。
母も、老健に入所中に誤嚥性肺炎で入退院を繰り返しました。
そのとき、tomozou様と同じく毎日、ご飯を食べさせに通いました。
後で、思うに、トロミ食が気に入らなかったようです。
退院後、食べない母に老健の栄養士さんが、「食べる意志」を
取り戻して欲しいということで、母の好物である海老料理を
各種、特別に作ってくれました。
天ぷら、フライ、しんじょう、エビチリ。
母はエビチリを美味しいと言って完食しました。
そのとき、面会に来た私に栄養士さんが飛んできて、
「お母様が食べましたよ!」と報告してくれました。
これを話題にブログを書いたところ、「アンパン」が
きかっけだったとコメントを頂きました。
好物を食べることで、美味しいという感覚を取り戻したのでしょうか。
いずれにせよ、90歳を越えると、何があるかわからない。
今日が元気でも、明日はわからない。
そそ、覚悟していると言いつつも、いざとなったら、慌てるだろうなと
思います。
tomozou様と同じく、将来がどうの、というより、目の前のことを
とりあえず、やっていこうと思いました。
お母様の摂取カロリーが1000カロリーを越えるかどうか、
とは、心配ですね。
お父様の点滴の血管がボロボロ。そうなんですよね。
痛々しいんですが、点滴をしなければ、栄養が摂れないし・・・。
母は、とても元気なので、考えるのはしょっちゅうではなくて
助かっています、
山椒魚様の場合、急変が考えられるので、おちおちとしていられない。
どうぞ、ご自身もご自愛くださいね。
食事をしないのは、環境の変化が大きいですよね。
母の場合は、毎食トロミ食が嫌だったようです。
入院中の食事は、まず、私が味見をして、メニュー表をみながら、
魚、肉、野菜、ご飯と言いながら、食べさせました~
施設では、職員がプロなので、お任せするほかないですね。
プリンをよく持っていきました。
色々とアドバイスをありがとうございます。
皆様の同じような体験を読ませていただいて、力付けられます。
足の浮腫が有り、初めての療養食なのも影響していると思います。
食べなきゃ退院できない、食べなきゃ体が弱ってまた発熱すると
言う思いは、私のエゴなのではと、無理強いする事にも悩んでおります。
「食べる意思を取り戻す!」アドバイスを踏まえて、栄養士さんとも相談してみます。