義母に何かあっても救急車は呼ばない下さい。
って、デイへは言ってあったんだけど。
転倒されたのに、何もしないというわけには
いかないと言われて、それもそうだと。
一昨年、お義母様を自宅で看取った同級生と、
久々に会いました。
彼女は逗子に住んでいますので、昨日は電車で
母のところへ行き、帰り、JR横須賀駅から、
待ち合わせの逗子駅へ。
お義母様を週5日間デイへ行かせて、在宅介護を
していました。
親が亡くなったと聞くと、必ず質問したくなる
のは、その死因。
そこから、母の寿命を考えてみたくなるのです。
聞けば、デイで転倒し、圧迫骨折したそうで、
そのまま、寝たきりになり、食欲をなくして
衰弱したとのこと。
お義母様はアルツハイマー型認知症で、発症
する前に延命治療は拒否すると言われていた
そうです。
そうよね、転倒してそのままにしておくわけ
にはいかないわね。
圧迫骨折しているだけだと診断されて、入院
よりも自宅で、ヘルパーさんに来て貰ってと
思ってね。
自宅で最期まで看取ること。
在宅介護をしていたときは、それが理想では
あったものの、途方もなく、先の見えない、
無間地獄とも思えたのです。
今の母は、全く歩くことは出来きませんが、
立位は数秒可能です。
腕力、握力も92歳とは思えないほどの力強さが
あり、老健(介護老人保健施設)に居たときから、
職員の方が、「しっかりと手すりを掴み、立って
下さるので、助かります。」と言われるほど。
そういう母なら、ポータブルトイレを使い、
自宅で介護しながら出来たかもしれなかったと
今でも思うのです。
しかし、母との毎日は、滅私状態であろうと、
想像がつき、鬼娘のアタクシはとんでもない
と叫んでしまうのです。
母に会っている間に、トイレへ行きたいと、
言われると、スタッフさんに頼むのです。
すると、母は必ず、申します。
なんで、アナタがやらないの!
おっかさん、アタシは介護を放棄したんや。
「お母様とあなたのため祈ります。」
彼女のSMS(ショートメッセージサービス)の
結びにありました。
敬虔なカトリック信者である彼女の言葉に、
アタクシは、ジーンと心を打たれました。
水仙は、入所者のご家族の方が梅の枝と共に
施設に持ってきて下さったもの。
花が好きな母のテーブルにスタッフさんが、
置いてくれました。
いつもは、造花のみですが。
コメント
コメント一覧 (10)
日々お母様への思いは尽きませんね。
自宅で最期を看取る。
言葉にすれば本当に理想のことだと思います。
が、しかし看取る側にも人格(当たり前ですが)有ります。それを認知症である人との平常心を保つ生活、会話が成り立つのでしょうか?
家の場合は父は頑固一徹なひとでした。そう、性質は過去形になりました。今では大人しく普通?になりました。過去を振り替えれば何度も怒り、涙したことか。
それでも今では何回も同じ言葉を繰り返し嫌味ひとつなく命令されることもなく動けない父は普通の人になりました。
だから在宅で私の一方的なやり方で看て居られるんだと思います。
週何度もの訪問看護、リハビリサービスをお断りして何とか週1でもデイサービスに出すようにしました。
こちらの生活のリズムに乗せれているから毎日何とか頑張って居られるんだと思います。
勿論周囲の協力は必要不可欠なものなので有り難いと思います。
あんず様のお気持ちが日々穏やかに過ごせますようにm(__)m
ブログには毎回お邪魔しているのですが、なかなか気力が湧かず
コメントを残せずにいます。
母が退院してから、1ヶ月半が経ちました。
まだ、1ヶ月半⁈と思うような毎日を過ごしています。
今の母は、家の中のほぼほとんどの時間車椅子で過ごしています。
足で漕いで、お母様と同じく腕の力で
手すりを引きながら移動しています。
同じくベッドやトイレへの移乗も手すりにしがみつきながら、2〜3歩動いています。
先週、夜中のトイレを押さえるお薬を勧めてから、私が嫌がっていると思ったのか、可哀想に思ったのか
時々しか起こさなくなりました。
でも、私がしんどいのは
私が、望んでいるのは
そんなことではないのですがね。
私や私の家族の生活の中に、
母を
母の介護を
組み込みたい。
今は母の(介護の)生活の隙間に
自分たちの生活がある…
もう、10年以上が過ぎました。
ほとほとイヤになってます。
なんとかしたいのだけど、誰に相談したらいいのかわからず
途方にくれています。
「隣の芝生は青い」ではありませんが、
結果だけをみて、羨ましくもあったり、
また、施設へ入所させ、毎回、帰りたいと
言われるたびに、身が細る思いがします。
実際は、身は細りませんが(笑
おっしゃる通り、母との会話は在宅のときは、
テレビを見ながら、その感想だとかに相槌を打つ、
そんな毎日でしたね。
有益な会話はなく、エンドレスに続く同じ内容の会話。
母も認知症初期の特有の悪魔的性格はなくなり、
穏やかにもなりました。
しかし、先日のように、お隣の方からタメ口をきかれたと、
いきなり、怒りだしたり。
元来の気の強い性格は、時折、現れます。
一昨日会った同級生は、義理の母親ということもあり、
毎日、デイへ行って貰い、自宅に居るのは、日曜日だけ。
という介護やっていました。
はる様のお父様は、認知症で頑固一徹な性格が、大人しく、
なられた。それは、認知症の良い点でもありますね。
以前、このブログにコメントを下さり、お父様を介護して、
結局、頑固なまま、急激に症状が悪化して、ギリギリの
状態になった方(paku様と言います)がいました。
下の世話がどうにもならなくなり、グループホームへ入所。
その矢先に、亡くなられました。
介護する家族は、それぞれに、苦労して色んな方法で、
生活をしています。
比べられないですが、ついつい、隣の芝生を羨んでしまいます。
はる様もご自分を第一に考えて、ご自愛介護をしてくださいませ。
まだまだ、寒いです。お風邪を召しませんように。
ブログをみて下さるだけで嬉しいです。
母は認知症が進行してから、私を支配しようとは
しなくなりました。
ときどき、「なんで、アナタが私のトイレの始末を
しないのよっ!!」と言いますが、無視しています。
殆ど車椅子生活。
母とまるで一緒です。とにかく、歩けなくなりました。
施設にいても、自分の部屋に行くのは、寝るときだけ。
ずっと、食堂のテーブルの前に座っているだけです。
「足で漕いで、手すりを引きながら移動」
それだけ、自由があるというわけで、それは、
はるる♪様が、在宅介護をされているから確保できるもの。
だから、お母様には、威張っていいんです。
お母様を施設へという選択もありますが、
それは、はるる♪様も出来ないことと、よくわかります。
お薦めしたいのは、お母様が嫌がろうと、デイとショートを
組み合わせて、お母様がご自宅にいないときを作って下さい。
そうすれば、たまには、デパートへ連れてこか、くらいの
気持ちの余裕がはるる♪様にも出てくるはず。
嫌がるものを行かせるのは、苦難の技ですが、
清水の舞台から飛び降りるような決心で、
ケアマネさんに言って、実行してください。
私の母と伯母は、はるる♪様のお母様とよく似た性格です。
伯母はもう5年前に他界しましたが、娘である従姉は、
いまだに、伯母の亡霊と戦っています。
どうか、ご自分の健康を考えて、生活してください。
余計なことを言ってごめんなさい。
またまた、書き込ませてもらいます。
今日は、嘘っこ仕事の日で、
実は母をリハビリ病院に再入院してもらうべく、見学に行ってきました。
入浴介助に来ていただいている、訪問看護師さんのススメなんですが。
詳細は自分のブログに書きますが…
リハ入院からデイリハヘ、そしてショートへと
目論んでいたのですが、今日見学してみると、母がいつまで我慢できるか…
みなさん、揃いのピンクのリハビリ着を着ていました。
個室は狭くテレビも小さい…
近いだけに、毎日毎日来るように言われ、
こんなところに入れてと
言われ、慰めたりおだてたり…
そんな日が目に浮かびます。
このまま歩けなくなって、寝たきりになった方が楽かもという思いも
鬼娘の心によぎります。
家に帰れば、事務仕事も山積みでしたいことがいっぱいあるのに
決まった時間までは帰れず、
デパートのエスカレター横の椅子に座っていると、涙が出てきました。
ごめんなさい。
ぼちぼち帰ります。
水仙の写真から、良い香りまでしてくるようです。
逗子に行かれたのですね。逗子は私が育った所です。今はアルツ父の為に通っています。
何だか嬉しくなってまた書きこんでしまいました。
横須賀の施設はお花をもってくる方がいらしたりおやつを差し入れしたり、自由な雰囲気なんですね。お母様にとってよかったのではないでしょうか。
私も最後は、自宅でが理想で、そうしてあげたいと
思ってましたが、症状が、進み、車椅子が、外せない状況になっては、無理と判断して、ホームに。
3度めの誤嚥性肺炎で、昨年の11月に入院して、
今回は、復帰は、難しいかと思っていましたが、
先ほど、病院から連絡があり、ホームに移動可能に
長々と入院させられない事もあるでしょうが、
レントゲン、食欲も異常なし。安心ではないけど、
親の生きる力に感服です。
失礼な質問ですが、同級生の方のお母様は、圧迫骨折からどのくらいをお過ごしになられたのでしょうか?
寒さがきびしい今日この頃ですが、体に気を付けてくださいませね。
さてさて今日はケサカ婆の90歳のお誕生日、私もあんず様のロウソクをヒントにホールケーキに3本ロウソク立てお祝いに今から出かけてきま~す。