横須賀の特別養護老人ホーム(特養)に、母を
引っ越しさせた、その日の朝、お世話になった
介護老人保健施設(老健)側の都合を聞かずに、
出発の時間を決めてしまいました。
午前9時から9時半の間にと思ったのです。
午前9時は、朝礼と引き継ぎ事項を確認する、
重要な時間だったのですね。
母の居た三階フロアの責任者と看護師さんに
挨拶をし、特養で必要と言われた書類を頂き、
施設を出るべきでした。
朝礼で忙しそうだからとアタクシはそのまま、
一階で、ケアマネさんと相談員さんに挨拶し、
母を車に乗せました。
アタシ、皆さんに挨拶して来なかったわ。
母はそう言って、涙ぐんでいました。
認知症の母のほうが、常識的でした。
アタクシは、ただ、特養に移ることに対し、
母から非難されたくないと思うだけでした。
結果、レントゲン写真や薬、必要書類を受け
取るのを忘れて、東名高速に乗ってしまい、
また、横浜町田インターから折り返すという
失態をしてしまいました。
あれだけお世話になったのに、御礼も言わず、
出発してしまった・・・
そこで、昨日、横須賀の特養へ行く前に、再度、
横浜の老健に寄りました。
日々のシフトで、出発の日とは違う顔ぶれ。
でも、三階担当の看護師さんと言葉を交わす
ことが出来て、あの日の後悔が少し無くなり
ました。
横須賀に向かいながら、これって自己満足で
しかないのかもと思いました。
横須賀の特養入所も、母のためと言いつつ、
アタクシ自身の気持ちを楽にしようとしている
だけかも。
勿論、もう、在宅介護には戻れませんというか、
戻りたくない。
眠りが浅く「母がいるから早く帰らなければ」
という夢を見ても、戻りたくない。
涙ぐんでいた母は、30分ほどはエンドレスに
言っていました。
東名高速を降りて保土ヶ谷バイパスを走る頃
には、記憶は忘却の彼方となりました。
今のアタクシは、かも尽くしの日々です。
コメント
コメント一覧 (4)
介護の形は様々だけれど親を思う気持ちはなかなか思うようにはいきませんね。
どんな形を取っても、あの時にああすればとか?こうすれば良かったのか?と思いは尽きません。
最終的には自己満足であったとしてもこれからまだまだ頑張って行かなければならない立場に居る私達の方が駄目にならない方法を選択するしかないのですよね?
そう言い聞かせています。
私は在宅介護ですが何も言わない、何も望まない?父に逆に不安になります。これで良いのかな?って。もっと何かする出来ることが本当は有るのかな?と思います。
肺炎になって、最後の看取りを覚悟した介護です。今は歩けないものの元気そのものです。軽い認知症はあるものの、何も望まないただ寝ているだけの毎日。
週に3回の訪問サービスが家族以外の交流であとはテレビもラジオも要らないと。
時に思うことは、
生きてる意味は?
寂しくないの?
このままで本当にいい?
毎日時間に追われながらの私の片付け介護?
この先どのくらい続くかな。
父が今不幸だと感じていなければずっと頑張るものなのかな。
私は今不幸だとは感じないけれど、先の見えない介護って本人はどう思ってるんだろう?とか思ったりもします。
愚痴も出るくらいの方が人間らしい気がします。
と、今日はこんな気持ちです。
あんず様のブログに吐き出させてもらい救われています。
ありがとうございますm(__)m
私はただ順番がきたからと入所を決めてしまった事の罪悪感はずっとあります。
でも、母はわかってゆるしてくれるんじゃないかとも思うことがあります。ときどき親に戻るとき、よく世話してもらってるから心配しないでいいよ、といいます。患者のときは服がキツいとかご飯マズイと文句をいいます。でも小学生以下の裁縫レベルの名札をみて、特養のスタッフさんに、娘のやる事ですから。と笑ったりもするそうです。へぇー
もしかしたら、子供たちの知らないところで親に戻り、仕方ないなぁなんて思ったりしてるけど忘れてしまうなんてことあるのでしょうか。結局、自分がこれでよかったちやんとやってるよと思えるためにしてる部分はありますが、それでもいいのかなというふうに考えようとしています。
お母様を、おひとりで、特養に移動させるだけでも、大変な事なので、多少の失敗は仕方がないと思います
別の日に、礼を尽くされて居るので、
お母様が、まだ!挨拶出来ないのが、心残りなら、お手紙書いて頂いて、老健に郵送するのもありかもしれません
あんまり、こころ悩ませられませんように
コメントの皆さまも私も!
りんさんの言われた通りだと、私も思います。
本当に大変なことをお一人でされているのだから…。
寒くなったり暖かだったり、季節の変わり目です。、お体を大切にしてください。