なんていうかな、楽しくないというか。
家庭内が楽しくないという意味ではないの。
主人や子供達とは、いつも通りだし。
孫が来て、あやしていていると可愛いし。
積極的に人と会おうという気がしなくて。
私は飲むから、誘われて、そういう席に行く
けれど、昔のようにワイワイと楽しめない。
この頃は、お断りをして行かないのよ。
今年の初め、お母様を急性白血病で亡くし、
残ったお父様を施設に入所させた友人が言い
ました。
彼女には弟さんがいて、それも二世帯住宅で
暮らしているから、本来、お父様の介護は、
必然的に弟さんのお嫁さんがやるべきところ、
介護放棄をされてしまったそうです。
だからと言って、二世帯の家で、姉で小姑の
彼女が通いで介護するわけもいかず、施設に
入所させたという顛末に。
入所した頃は、施設になじめず、面会に行く
たびに、嫌味を言われたけれど、このところ、
逆に、「もう、帰れ。」と会った途端に言う
ようになったとか。
最初の頃は、週に3回は行ってたわね。
それが、週に2回になり、今は1回。
片道2時間近くかかるから、行くだけで疲れ、
帰宅して夕飯の支度が出来ずに、主人と娘に
外で食べて来てって言うほどなのよ。
施設にも馴れてきたから、週にではなく月に
3回程度でもいいかなと思っているの。
それでもねえ、心が痛むのよ。
心から、楽しいという気分にならないのよね。
うんうん、わかる!!
施設に入れてよかったんだけれど、心がチク
チクするのよね。
何をしたということもないのに、くたびれ感。
燃え尽き症候群というほどでもありませんが、
なんだか、力が出ない・・・。
まだまだ、特養の申込みとかやらねばならぬ
ことがあるのに。
コメント
コメント一覧 (23)
おさまっておりました。それを母のところへ持って行き、寝る前に外したのに何でゴミ箱に落ちるのよ。夢見てたんよもー!と怒り気味に言いましたら、あーよかったおちてなかったんやと。良かったって、もー、人起こしといて良かったはないやろって。寝てたのに。あーごめんと。さっぱり言い、じゃあ寝るわと。お陰で目が覚めてしまいました。ちゃんちゃん。頼むから夜中に起こすのは勘弁願いたいです。あんず様チクチク思うかもしれませんが、しょうがないと思います。誰でも思う事と思います。葛藤もあるでしょう。ふと思ったのですが、お母様が昔お好きだった事に関することをしてあげる事が免罪符になりませんか?例えば昔上手にされてたお好きなお花を持って行ってあげたり、もうされてるかもしれませんが、それで充分ではないかと。
アボガドの葉っぱが枯れたのは春先にチョット寒さが影響していると思います。ご老人と同じで、季節の変わり目に弱かったようです。でも、新芽のところを虫に食べられたのはチョット残念でした。私は桔梗を種から育てたので、桔梗畑が出来るほどの数になりました。もしかしたら、定年後の仕事になるといいなと思います。
あんず様も早く今のテンポになれて色々チャレンジしてください。
おはようございますm(_ _)m
今までの生活がまるっきり変わってしまったのですから、母上様同様、徐々に慣れていくというか、気持ちの折り合いをつけていかなければならないのですね…。
在宅も、施設も、介護は介護者のメンタルを蝕んでいきますね…。
私自身は、あんず様や、御友人様のご選択は間違ってないと思います。
ただ、感情の着々点がまだ見つからないのは仕方のないことだと思います。
ぼちぼち…。です。
『これで良かったのか』と、思われるのはやはり母上様思いの孝行娘さんな証明です。
だから、チクチクされるんだと思います。
元気を出してくださいね。
何をしようと思わず、ちょっぴりでも良いので、御自身を甘やかしてください。
私は、いつもこちらにお邪魔し、慰められております。
あんず様、皆々様、有難うございます。m(_ _)m
着々点➡着地点
失礼致しましたm(_ _)m
入居している当人も慣れない生活で必死なんですね。
先日あった冷蔵庫バリケード事件です。
夜勤の男性がそーっと入ってきて、母のズボンを下げ始めたところ母はびっくりして、大声を出し警察を呼ぶと男性に怒鳴りつけたそうです。その後、母は部屋にある冷蔵庫をドアにピタリと付け、一晩中ドアを開けさせませんでした。必死で女の身を守ったのでした。次の朝はおだやかなお顔で朝食に出ていらっしゃいましたと説明されましたが、それを聞いたとき、とても切なく、また母に嫌な記憶をのしてしまったと可哀想になりました。
認知症って少し前の楽しい気持ちはすぐ忘れてしまうのに、嫌な記憶はいつまでも残って居るものだと本に書いてありました。
入居したからには、少しでも楽しい思える時間を作るのが、家族の出来ることかなーっと思います。
この施設、どう思いますか?
入居して二日後に起きたことなので、お互いに連絡不行き届きな点は大目に見るとして、これからもまめに行って 言うべきことはきちんと言っていきたいと思います。
母の終の住処に私が選んだ所ですから……………
あんず様、これから特養に申し込みとのこと、何回も見学されるのがベストかとおもいます。
ちなみに私は、ケアマネさんが、自分の親に入ってもらっても良いと思っている施設です。と紹介されたので、その言葉をまるまる信じてしまいました。決して悪い施設ではありません。私の理想が高いだけかもしれません。ただ、決めるときは慎重にした方が後悔の気持が少なくてすみそうです。
私もケサカ婆が病院入りして、なんか脱力感というか・・前と同じようには走れないと言うか・・・。この二週間なにもかもが思うように捗らずにいます。なんなのでしょう。自分でもそう思います。同居で長い間お母様を四六時中看て来られたあんず様に比べ、私は別居でほぼ午前中くらいしかケサカ婆に接触していないし、毎朝接触するのはデイに通所したこの1年8ケ月、あんず様の長年に比べ私なんて「瞬きする時間」ほどにしかならないのに。。一体なんなのだろうか・・と自分で思います。長い間懸命に身を削り関わってきたあんず様ですもの、デトックスに必要な時間がきっとあるんですってば。大仕事のあとの休息と思い心と体を徐々に取り戻すまでの準備期間と思いボチボチエンジンでやっていきましょう。
ここで鬼嫁ひろちゃんの片付け日記を披露。
「エイ!目標来月いっぱいじゃ、、、」と余裕目標にしました。タンスの中の物出して今後ケサカ婆が着そうな衣類など引っ張り出しては見渡すと家の中が散らかる(苦笑)片づけているのに散らかし放題になって行く(苦笑)焦燥感マックス。そこで思い立ち百均の大きなビニールバックを色とりどり10枚位買ってきて、下着、靴下類。タオル類。この先グループホームや施設に入っても着れるようなブラウスやポロシャツなどトップス類。同じくズボン類。外出の時に着るかも知れないジャケットやコート類を若干。スカーフやマフラーや帽子類を若干。アルバムなど写真類、客用のきれいな寝具類を1セットとシーツ等カバー類。貴金属類。着物類。をビニールバックに仕分けし入れて居る物、要らない物と1階の2つの部屋に分け折り紙に内容を書きぺたぺたラベル張りしました。ピンク=要る物。黄緑=本人存命中はとりあえず保管しておこうと思う物。黄色=月日の経過中の判断で徐々に処分しようと思う物。タンスや戸棚の中を出し、ガラス戸は外し引き出しを抜き、自分が運べそうな小さ目の家具類を1階にとにかく結集させました。1階には大きな土間(8畳位)があり一階には浴室、トイレ、小さな倉庫、洗濯機、6畳と4畳の和室があります。昔、商店だったらしく店番や休憩に使う部屋と事務用の部屋だったようです。土間は商店として使い、廃業後は一時期車庫として使い、ケサカ婆の独居となってからは長年物干しとして使ってました。
第1戦が片付いたあと、食器棚、洋箪笥2つなど高さのあるものを2階から降ろすのは危ないのでそれら家具3つを残し、和箪笥も引き出しを外し外枠は階段をスロープのように這わせ難なく1階に降ろして結集。「木曜日の朝これらをまた解体し袋詰めし金曜日にごみ出ししたらいいよ。」と段取りまで予告(笑)「こんなふうにゴミに出すなんて考えもしませんでした・・助かりました・・。」と汗拭き用のタオルと150円の缶ジュースを差し出す私。「この辺の年よりが家具捨てに困ったときいつもしてやりよるんよ。お金何万もかけたらかわいそうやないね。ゴミ袋代で済むのに。そんな家具解体や手すりつけやトタンの張替、雨トイの修理やらタイル張りやら体動かす事好きで大工仕事頼まれてしているうちにとうとう大工さんと呼ばれるようになった。大工でもなんでもないのに。」と言っていた。ケサカ婆も私には大工さんだと言っていたので元工業科高校教師とは思わなかった。(笑)たまに先生と呼んでいる人もいたのでおかしいなとも思っていたんだけど。思わぬおじさんの助っ人登場でケサカ婆宅片づけに弾みが付きました。
私も同じ状態です。特老への入所も決まり、
今は、誤嚥性肺炎などの影響もあり車椅子に
以前のように家に連れて帰っても歩くのが、、、
そのまま、ホームから特老に行くことに、
御飯、風呂、トイレもゆっくりでき、夜間も
起こされないのに、だらけて、疲れているように
感じています。介護している時は、特老からの
連絡を心待ちに、週末のステイを楽しみに頑張って
いた頃が、懐かしく、充実していたような。
余生を楽しくと思い願っていたのに、、
これでいいのか??親にも余生が、、、
私も燃え尽き症候群に
久し振りにコメしました
先日の老健からの℡は驚きましたね。
覚悟をしていても気が休まる時は無いと思います。
どんな状態に成っても仕方ないと言い聞かせながらも
毎日がドキドキですよね。
顔を見に行かなければと思うけど日々弱って行く
姿を見たくない気持ちも分ります。
一人の時間を使って気分転換をと言うけど
頭からお母さんの事を忘れてしまう事は無理なことだと
思います。
主人の場合は突然でショックでしたが
たまたま偶然に私の腕の中で話しながら息を引き取ったので
その点は本当に主人に対して有り難うと手を合わせました。
この時まではこんな形で最後を迎えるとは全然思っていませんでした。
どんなに成るか誰にも分りません。
少し気持ちを楽に持って下さいね。
毎日お疲れ様です。
お疲れ様でございます。夜中に騒ぐようになられるようですね。人を起こしても当たりまえに思っていますからね、それに腹立たしくも思いました。ごめんと言わはるだけ、いいですよ。母なんか、そんな気まるでなしでしたから。認知症になってからというもの、あれだけ好きだった庭いじりや植木を育てることに興味を示さなくなりました。元気なころは、庭の植木鉢を動かしたり、植え替えたり、よくやるわーと思うほどでした。施設には植木は持って行かれないので、ちょっと残念ですが。でも、中庭に置いてある、植木鉢のお花を見て綺麗だと言っています。
義理の親も、嫁の面倒にはならないというプライド?の高い人もいるようですが。特に舅とか。ほんと、介護もいろいろですから。義理の両親と実の両親とは違うと思っている人が今は多いような気がしますが。親も、老老介護の前に、老後を考えておくべきなんですね。
アボガドの茎は、まだ、しっかりしています。このままにしておくつもりです。桔梗は花だけですよね。果樹園以外にも色々栽培されておられるのですね。
いちろく様のコメントを読んで、わかったのは、
母のほうが、私より環境に慣れ、柔軟性があるということ。
自分自身の生活をしなさいと神様から言われているのに、
なかなか、慣れていかない。
いまだに、虚脱感と疲労感と後ろめたさ。
後ろめたさに関しては、ここにコメントを下さる
施設へ入所させている皆様にもあるということ。
それを抱えて生活されていることがよくわかりました。
ある意味、在宅の方が、気持ち的には楽だったかも。
じゃあ、在宅に戻せば?と言われそうですが、
いやいや、あの介護も、いまさら出来ない。
現在、在宅介護で日々ご苦労をされている方々にも
申し訳ないという感情もあります。
うーん・・・。複雑です。
いちろく様、入力ミスは気になさらないで。
嫁と姑の関係も昔と大違いですね。私はすでに姑と呼ばれる年代。考え方は大正生まれの母親に育てられているからでしょうか。お嫁さんにもう少し、上手に立ち回ればいいのにと思い、従姉なんかには、「姑でしょ、ビシッ!と言わなきゃ」と言ったりします。介護の形態もその関係の通り、嫁だからと、介護をするなんてとんでもないという風潮ですよね。そうなると、親はさっさと子供の面倒にならないような方法を初老のことから取ることですね。友人の弟さんのお嫁さんは、仕事もしてない、子供いない。義理の姉(友人)は近所に住んでいるとなれば、交代で看ることも可能だったでしょう。実際に、コメントを下さる、のんきママ様は、兄弟親族でローテーションを組んで介護をされている。上手くやっておられる家族もいる。介護はそれぞれですし、状況もそれぞれ。それぞれにあったバックアップをもう少し丁寧に、行政がみて欲しいと思います。ご子息が「面倒をみる」とおっしゃるお気持ちがあれば、いい。実現しなくても、ちゃんと思う人がいるというだけでも、たけちゃん様はお幸せです。親も子も安心して生活できる日本であって欲しいものです。
「冷蔵庫バリケード事件」衝撃的なことです。事件ですよね。
冷蔵庫をご自分で動かしただなんて、
どんなに怖い思いをされたことでしょう。
認知症だからという考え方が、職員のなかにあるのでしょうか。
母が同じ立場だとしたら、きっと、出来事は忘れていると思います。
「ズボンを下げる」という行為は、オシメを取り替えるということにも
なるので、施設側の見解を是非、聞きたいです。
老健探しをして思ったのは、一長一短、いいと思っても、
理想にぴったりはないということ。
「入居したからには、少しでも楽しい思える時間を作るのが、家族の出来ること」
これには、大賛成です。
今月、兄と見学に行く特養は、横須賀市にあり、遠いのですが、
犬と一緒に暮らしている施設です。
何もすることがないよりは、犬好きな母が、可愛がる時間が少しでもあれば、
と思い、申込みをする予定です。
私も洋服を間違って着せられて、文句を言いました。
でも、yoko様のおっしゃる通り、要望は要望できちんと言うべきだと思っています。
お疲れ様でございます。
特老に決定されたんですね。よかった!
そうなんです、在宅介護の苦労から解放されたら、
だらけてしまうし、不眠にもなるし。
そそ、デイだ、ショートだと予定を繰り回して
自由時間を作っていたほうが、充実していた気がします。
これからは、お互いに自分の老後を考えつつ、
面会に行く、そんな生活ですね。
コメントを有難うございます。
施設からは、些細なことまで、電話連絡があり、
うるさいくらいだったと言っていた人がいました。
私はうるさいとは思いませんし、むしろ、母が訴えることを、
なんとかして和らげようとして下さることに感謝しています。
電話を貰って、すぐに行ったほうがいいのかどうか、迷いました。
でも、意識もはっきりしていると言われて、行きませんでした。
なごみ様がうらやましいです。
骨折前は、このまま、在宅介護をして、穏やかな最期を
自宅で迎えさせるのが役目かなと思っていたのに。
結局、施設か病院でということになってしまいました。
偶然とは言え、腕のなかで、話をしながら、息を引き取られた、
なんて、素晴らしい最期でしょう。
その分、ご主人様は、長い闘病をされたいたのですから、
神様の配慮としか言えません。
成るようになる、それこそ、神様にお任せするほかありませんね。