アタシはね、あの戦争ですべてを失ったの。
この人の状況は、アタシに比べればたいした
ことじゃないわよ。


と、母は口を尖らせて、抗議するかのように
言いました。


それは、テレビの特集を見ているときのこと
でございました。


3年前の東日本大震災。
現在26歳の女性が、津波で父親を失い、自宅
を流され、未だにその精神的ショックから、
立ち直れず、心療内科のクリニックの先生と
共に、もう一度、震災を見直しているという
お話でございました。


大震災後に、画面上に津波に全てを流されて
何もなくなった市街地が、映し出されると、
母はいつも、“アタシは、戦争で~”を言って
いました。



アータとあの女性との立ち位置がちゃうやん。


アタシはね、焼け出されたの!


相手のことを思う気持ちもなく、自分のこと
だけしか考えられないのも認知症の症状なの
でしょうか。


そこで、母の立場を持ち上げてみました


明治大正の女は、戦争を越えてきているから
芯が強いんよ。
それに比べて、昭和の女はすぐにへたるんよ。
ましてや、平成生まれは、簡単にボキッと、
折れやすいんよ。


そういうと、ご満悦な表情を浮かべました。


ニュースでさ、80歳代のお婆さんが、“戦争
で全部なくして、昭和45年チリ沖地震で発生
した大津波で流され、また今回も、流されて
しまった”と話していたんよ。
それに比べればアータは一度だけなんだから
幸いと思わなきゃ。



戦争で焼け出されて「悔しい」、実家が自分
名義でないことが「悔しい」。

この人の財産や物への執着って凄いんだなと、
我が母ながら感心してしまいます。


それだけ、戦争体験が辛かったのだろうとも
思います。


だったら、なおさら大震災で心の傷を負った
方々の気持ちがわかると思われるのですが。


母の記憶は、現在のものより、戦前、戦中の
方が鮮明なのではないかと存じます。


災害に遭われた方々を慮るよりも、そのとき
の悔しさのほうが勝るのでしょうね。