或る日のことでございました。


ご機嫌伺いにやってきた、長兄が申しました。

“今ね、我が家では、ちょっと時代小説ブームなんだよ。
おふくろ、佐伯泰英って作家が書いた
「居眠り磐音江戸双紙」って知ってる?”




長兄は、子供の頃から本好きで、母とよく二人で読後感を話し、
そこから論戦になることもございました。


「居眠り磐音江戸双紙」?
そうね、今は読んでないけど、昔、読んだことがあるわよ。


おいおい、ウソこけ!
ここ7~8年間、新聞以外読んでへんやん。
と思わず母の顔を見入ってしまいました。

認知症になってから、「~ない」ということを申しません。
「行ったことがない」ではなく、「行ったことがある」

先日も、テレビでオーストラリアのメルボルンの旅行記の番組を
見ながら、アタシ、若い頃、行ったことがあるわ。と申しました。

えっ、戦後すぐって簡単に渡航出来たんかいな?
それにオーストラリアへは一度も行ったことはございません。


本は、目も白内障が進んでおり、小さい文字が見えづらいようで、
今は、読んでおりませんの。


新聞だけは、一通り読み終えると、また、最初から読む。
これを2~3度繰り返しております。


このごろはね、小説を読むより、文芸春秋を読んでるの。


はあ?文芸春秋も、読まなくなって、10年は経つけど・・・


時代小説って面白いわよね。


と母は読んでもいない本をさも、読んだように兄に話すので、
あたくしは、思わず、顔をそむけてクスクス笑ってしまいました。


仙台に住む従姉に言わせると、
「そうよね、母(伯母)も何かというと文芸春秋だったわよ」

とのこと。

長兄は滔々と「居眠り磐音江戸双紙」について、述べるのですが、
相槌を打ちつつ、読んで感銘したようなことを母は申しておりました。


兄から「全部読んだことがあるの?」と聞かれ、母は


ん?、ほんの一冊か二冊よ。ねえ、そうよね?

と、あたくしに同意を求めますのね


そんな本、読んでへんやん、と言いたいところ、
その代り、返事はしませんでした。


すると長兄は、「じゃあさ、Kuanziに言って、アマゾンで本を買わせるから」
と申しました。


あたくしは、あわてて、


いいから、こっちでも、アマゾンに注文出来るから、
Kuanziちゃんちゃんに頼まなくてええよ。


とお断りしました。


何故なら、現在、本は全く読まないからでございます。

あたくしからすると、何かにつけ、母は張り合っているように思えます。

読んでないものは、読んでない、どういう内容なの?教えて・・・・
とは言えないようでございます。

プライドが許さないというか、認知症になって、その「プライド」が
強力になったような気が致します。